2018年2月17日土曜日

徹音の音サンプル20180217 01

PCからスピーカーまでフラットで音出し。
その音をマイクで収録して作った音声ファイルをYou Tube用に画像と組み合わせてアップロード。作業内容はこれだけ。
いやはや素晴らしい!


再生SPはB&Wの683S2。
ウーファーは16.5cm2発とはいえ、決して大型SPではなく、しかも800シリーズ、700シリーズの下位シリーズにあたる。
失礼ながら上中下でいえば、下だ。
現在の販売価格を調べてみたら2本で22万円弱。

再生に使用しているPCは徹音ブランドの最高ランクで高価だが、ハイエンドCDプレーヤーと比べればはるかに(?)安い。真空管アンプも手を入れているとはいえミドルクラス。

それでこの音だから、オーディオマニアなら否が応でも考えるべきだろう! 
 
”おまけ”に私の自作SPの音も貼り付けておく・・・。こちらは1本250円のユニットの音だ。


2018年2月13日火曜日

実は寛容です

このようなブログを立ち上げて、音やオーディオについてあれこれ書き綴っていると、”音にうるさい人”と思われがち(その通り)ですが、実のところ私はオーディオの様々な再生音に対して、かなり寛容です。

しかし以前の私は、再生音は全て「ハードでシャープでダイナミック」であるべきという考えが根付いていましたから、それにそぐわない音には納得しないよう努めていた節があります。もちろん機器による音の違いには疑問を持ち続けたわけですが、オーディオに嗜好の音を求めるようになってからの十数年間は、決して寛容ではありませんでした。

ところが生録先生に出会って正しい音の方向を確信して嗜好を振り払った途端、千差万別ある嗜好の壁が無くなり、まとめて抱き込めるようになったんです。

これは正しい音を理解したことにより、それまで謎であった数々の事柄が紐解けたことで、今まで出来なかった判定が出来るようになったからだと思うのです。

音に寛容といっても、自分にとって不快な音を毎日聴き続けることができるとか、そういったことではありませんよ。音聴きのスキルが上がったからこそ、理解を示せるようになったという話です。

言うまでもなく、理解を示すことと評価は違う面を持っていますから、評価を求められれば気付いた範囲で音の主には伝えることになります。

聴いた音に対して、こだわりの部分や長所を言い当てるだけにとどまればよいのですが、音の主自身も気付いていない欠点を指摘してしまった場合は”的外れな文句”に変換されて嫌な顔をされかねません。そうなると大抵”音にうるさい人”になってしまいます。音の主が気付いている欠点までなら”耳がいい人”程度で快く納めてくれるのかもしれませんが・・・。

まぁ私は確かに音にはうるさいのですが、それ以上に寛容になれたと思っているわけで、しかし評価すると必ず誤解されてしまうので、もう他人様の再生音に対しては感想と紹介までで、評価はしないよう気を付けます。

2018年2月5日月曜日

もっと自由に!

オーディオの音は媒体の再生音です。

そして趣味のオーディオは、嗜好の音を楽しむも良し。オーディオ機器に固有の癖を持たせ、何を鳴らしても固有の癖付きの”音”を楽しむのも”あり”です。しかしそれは言い換えれば、嗜好という鎖に繋がれた音でもあります。

正しい音は癖を極力持たず、媒体の影響(信号)をそのまま受け入れて変化します。これは自由な音です。

嗜好の音を楽しむと共に、こんな自由な音も聴いてみたいと考えて、オーディオに取り組んでいます。

2018年2月1日木曜日

days2.1 ドラム

画質設定2160Pでお聴きください


注意)上の動画の半分以下の音量でお聴きください

2018年1月30日火曜日

評価をすることは、評価されることと同じ

その道のプロの評価だけが全てではないですけど、自分の評価とプロの評価との相違があった場合、その要因となるものを探ることは無駄ではありません。

例えば音楽のコンクールで、自分が一押しの奏者が最下位であったとしたら、それな何故なのか?と考えますよね。

こと、芸術分野においては大抵の場合、その要因を突き止めることが出来ると、自分の浅はかさを思い知ることになります。(例外があるとすれば、真の天才か、他人を認めない傲慢な身の程知らずか・・・。)

そうやって少しづつ目利きになってゆくのだと思います。

評価するという行為はつまり、現時点での自分の目利き度の現れということになります。

とは言え、芸術の評価は超一流のプロ同士でも評価が割れることが多いので難しいですね。
芸術はワカラン!


さて、音の違いを聴き取る訓練として、たびたびYou Tubeの元動画とdays2.1の動画を日記に並べて貼り付けているわけですが、単純に音の”良い””悪い”だけの感想で留まらないでほしいのです。

ネガティブな指摘に関しては特にですが、どこがどう違うのか、また悪いのかを見極めて、その音をどのように改善すれば正しい方向に行くのかを明確に意見できるようにならなければ単なる粗探しで終わってしまいますし、悪い部分の指摘に根拠がなければ説得力を持たず、信用に値しないただの感想(悪口)と捉えられても致し方ありません。また、自分の好みを基準にしての粗探しや指摘も同様に建設的とは言い難いのです。なぜならその指摘は好みの押し付けに過ぎないからです。

特に気を付けたいのは、オーディオの音を評価する場合、再生音の”音”そのものに芸術性を求めてしまうことです。再生音の場合、まずは元の信号に対する再現率に着目すべきです。
音そのものにまで芸術性を求めるから、より一層ややこしくなるのです。

仮に再生音に芸術点をつけるとしたら、誰がどのような基準で判断して加点するのでしょうか???


”再生音は個性的であってはならない”という決まりはありません(理想は無個性です)。欠点は改善すべきですが、長所と短所の重なりでもある個性はその音が自分の好みであるという自覚のもと、あえて残しても構いません。その音を理解したうえで、正しい音に照らし合わせて評価すれば、真っ当でポジティブな評価もできるというものです(この自覚がないとおかしなことになる)

音の個性を理解したうえで、的外れではない建設的な意見を述べるためには、それ相応のスキルを必要とします。つまり、音を評価すると同時に、自分のスキルレベルも評価されるのです。

ちなみに、「再生音はこんな感じ」と、音を紹介する場合は特徴を書くわけですから、その音を尊重して芸術的な印象を与えても構わないと思います。

紹介と評価を区別していれば、特に問題はないでしょう。

<あとがき>
国語の先生がこの文章を読んだら、5段階評価で1ですね(汗)。

2018年1月25日木曜日

days2.1 2018 01 25

8cmユニット&4.5Lのシングルバスレフ箱では
さすがに厳しい。あらゆる面で・・。

画質設定2160Pでお聴きください


注意)上の動画に対して、半分以下の音量でお聴きください

2018年1月22日月曜日

タイムリミット

私の場合、生の音を出発点として再生音はどうあるべきかを考えています。

生の音→録音→媒体→再生⇒生の音に近い再生音
録音からの精度が高ければ高いほど、生の音に近づけるという単純な考えです。

しかしだからと言って、生音至上主義ではありませんよ。そもそも媒体の中に生に近い音が入っていなければ、再生時に生に近い音は出てはいけません(この場合”生々しい音”とは意味が違う)。媒体(作品)化に伴う音作りもあるからです。そこのところは誤解のないように・・・。

録音(音作り。シンセ楽器等含む)→媒体→再生⇒媒体の音オーディオはこの流れの精度の高さが確保できれば、最初が生の音でなくても問題ありません。

通常のオーディオは、媒体→再生⇒再生音、です。つまり、再生音=媒体の音、がHi-Fiであり、原音再生であり、正しい音です。
しかし、再生音=媒体の音と、どうやって判定できます?媒体の音など普通は知り得ないです。

一番最初に戻ってみましょう。
生の音→録音→媒体→再生⇒生の音に近い再生音

”媒体”までの作業を自分でやったら分かりやすいのではないか・・・そう考えて生録音にチャレンジしました。

生録音の精度を、オーディオの音合わせに使えるレベルまで高めるのは簡単なことではありませんでした。検証の連続で、確かに難儀はしました。しかしその甲斐あってか、生録音で得られた知識とスキルは、媒体→再生⇒再生音、という通常の流れだけでは多分気付けなかったし、身に着けることも出来なかったと思います。勿論、生録音をせずとも気付く人はいるはずですが、私には永遠に無理だったでしょうね。

音判定に使える聴力にはタイムリミットがあります(個人差はあります)。聴力の低下が顕著になれば、正しい音なんてどうでもよくなると思います。正しい音を聴いても楽しめないと思います。そうなった時、一体どんな音で楽しむのでしょう??今のところ正しい音を聴いて楽しめる私には、まだわかりません(想像はしますが・・)。

ただ一つ言えることは、正しい音が聴くに堪えないツマラナイ音になったら、やはりその時は自分の耳に合わせて音を作り上げて聴くつもりです。同時にその音は、正しくない音と自覚しながら聴けるはずです。自分の耳の劣化を棚に上げて、正しい音を出す高性能な機器類を悪者扱いせずに済むのではないかと思います。

聴力が衰えてもこのような客観的且つ、まっとうな判断が下せれば、それは正しい音を知った成果と言えます。

音聴きに関しての知識やスキルを得るのは、早いに越したことはないということです。