2018年1月22日月曜日

タイムリミット

私の場合、生の音を出発点として再生音はどうあるべきかを考えています。

生の音→録音→媒体→再生⇒生の音に近い再生音
録音からの精度が高ければ高いほど、生の音に近づけるという単純な考えです。

しかしだからと言って、生音至上主義ではありませんよ。そもそも媒体の中に生に近い音が入っていなければ、再生時に生に近い音は出てはいけません(この場合”生々しい音”とは意味が違う)。媒体(作品)化に伴う音作りもあるからです。そこのところは誤解のないように・・・。

録音(音作り。シンセ楽器等含む)→媒体→再生⇒媒体の音オーディオはこの流れの精度の高さが確保できれば、最初が生の音でなくても問題ありません。

通常のオーディオは、媒体→再生⇒再生音、です。つまり、再生音=媒体の音、がHi-Fiであり、原音再生であり、正しい音です。
しかし、再生音=媒体の音と、どうやって判定できます?媒体の音など普通は知り得ないです。

一番最初に戻ってみましょう。
生の音→録音→媒体→再生⇒生の音に近い再生音

”媒体”までの作業を自分でやったら分かりやすいのではないか・・・そう考えて生録音にチャレンジしました。

生録音の精度を、オーディオの音合わせに使えるレベルまで高めるのは簡単なことではありませんでした。検証の連続で、確かに難儀はしました。しかしその甲斐あってか、生録音で得られた知識とスキルは、媒体→再生⇒再生音、という通常の流れだけでは多分気付けなかったし、身に着けることも出来なかったと思います。勿論、生録音をせずとも気付く人はいるはずですが、私には永遠に無理だったでしょうね。

音判定に使える聴力にはタイムリミットがあります(個人差はあります)。聴力の低下が顕著になれば、正しい音なんてどうでもよくなると思います。正しい音を聴いても楽しめないと思います。そうなった時、一体どんな音で楽しむのでしょう??今のところ正しい音を聴いて楽しめる私には、まだわかりません(想像はしますが・・)。

ただ一つ言えることは、正しい音が聴くに堪えないツマラナイ音になったら、やはりその時は自分の耳に合わせて音を作り上げて聴くつもりです。同時にその音は、正しくない音と自覚しながら聴けるはずです。自分の耳の劣化を棚に上げて、正しい音を出す高性能な機器類を悪者扱いせずに済むのではないかと思います。

聴力が衰えてもこのような客観的且つ、まっとうな判断が下せれば、それは正しい音を知った成果と言えます。

音聴きに関しての知識やスキルを得るのは、早いに越したことはないということです。

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