2018年1月30日火曜日

評価をすることは、評価されることと同じ

その道のプロの評価だけが全てではないですけど、自分の評価とプロの評価との相違があった場合、その要因となるものを探ることは無駄ではありません。

例えば音楽のコンクールで、自分が一押しの奏者が最下位であったとしたら、それな何故なのか?と考えますよね。

こと、芸術分野においては大抵の場合、その要因を突き止めることが出来ると、自分の浅はかさを思い知ることになります。(例外があるとすれば、真の天才か、他人を認めない傲慢な身の程知らずか・・・。)

そうやって少しづつ目利きになってゆくのだと思います。

評価するという行為はつまり、現時点での自分の目利き度の現れということになります。

とは言え、芸術の評価は超一流のプロ同士でも評価が割れることが多いので難しいですね。
芸術はワカラン!


さて、音の違いを聴き取る訓練として、たびたびYou Tubeの元動画とdays2.1の動画を日記に並べて貼り付けているわけですが、単純に音の”良い””悪い”だけの感想で留まらないでほしいのです。

ネガティブな指摘に関しては特にですが、どこがどう違うのか、また悪いのかを見極めて、その音をどのように改善すれば正しい方向に行くのかを明確に意見できるようにならなければ単なる粗探しで終わってしまいますし、悪い部分の指摘に根拠がなければ説得力を持たず、信用に値しないただの感想(悪口)と捉えられても致し方ありません。また、自分の好みを基準にしての粗探しや指摘も同様に建設的とは言い難いのです。なぜならその指摘は好みの押し付けに過ぎないからです。

特に気を付けたいのは、オーディオの音を評価する場合、再生音の”音”そのものに芸術性を求めてしまうことです。再生音の場合、まずは元の信号に対する再現率に着目すべきです。
音そのものにまで芸術性を求めるから、より一層ややこしくなるのです。

仮に再生音に芸術点をつけるとしたら、誰がどのような基準で判断して加点するのでしょうか???


”再生音は個性的であってはならない”という決まりはありません(理想は無個性です)。欠点は改善すべきですが、長所と短所の重なりでもある個性はその音が自分の好みであるという自覚のもと、あえて残しても構いません。その音を理解したうえで、正しい音に照らし合わせて評価すれば、真っ当でポジティブな評価もできるというものです(この自覚がないとおかしなことになる)

音の個性を理解したうえで、的外れではない建設的な意見を述べるためには、それ相応のスキルを必要とします。つまり、音を評価すると同時に、自分のスキルレベルも評価されるのです。

ちなみに、「再生音はこんな感じ」と、音を紹介する場合は特徴を書くわけですから、その音を尊重して芸術的な印象を与えても構わないと思います。

紹介と評価を区別していれば、特に問題はないでしょう。

<あとがき>
国語の先生がこの文章を読んだら、5段階評価で1ですね(汗)。

0 件のコメント:

コメントを投稿