2018年2月13日火曜日

実は寛容です

このようなブログを立ち上げて、音やオーディオについてあれこれ書き綴っていると、”音にうるさい人”と思われがち(その通り)ですが、実のところ私はオーディオの様々な再生音に対して、かなり寛容です。

しかし以前の私は、再生音は全て「ハードでシャープでダイナミック」であるべきという考えが根付いていましたから、それにそぐわない音には納得しないよう努めていた節があります。もちろん機器による音の違いには疑問を持ち続けたわけですが、オーディオに嗜好の音を求めるようになってからの十数年間は、決して寛容ではありませんでした。

ところが生録先生に出会って正しい音の方向を確信して嗜好を振り払った途端、千差万別ある嗜好の壁が無くなり、まとめて抱き込めるようになったんです。

これは正しい音を理解したことにより、それまで謎であった数々の事柄が紐解けたことで、今まで出来なかった判定が出来るようになったからだと思うのです。

音に寛容といっても、自分にとって不快な音を毎日聴き続けることができるとか、そういったことではありませんよ。音聴きのスキルが上がったからこそ、理解を示せるようになったという話です。

言うまでもなく、理解を示すことと評価は違う面を持っていますから、評価を求められれば気付いた範囲で音の主には伝えることになります。

聴いた音に対して、こだわりの部分や長所を言い当てるだけにとどまればよいのですが、音の主自身も気付いていない欠点を指摘してしまった場合は”的外れな文句”に変換されて嫌な顔をされかねません。そうなると大抵”音にうるさい人”になってしまいます。音の主が気付いている欠点までなら”耳がいい人”程度で快く納めてくれるのかもしれませんが・・・。

まぁ私は確かに音にはうるさいのですが、それ以上に寛容になれたと思っているわけで、しかし評価すると必ず誤解されてしまうので、もう他人様の再生音に対しては感想と紹介までで、評価はしないよう気を付けます。

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